さて、俺たちが楽団の拠点、アンドンに戻り、賄い飯を食べているとすんごい雨が降ってきた。
「これ、ディナー・ショー会場はびしょ濡れなんじゃないですか?」
「そうだろうなぁ・・・」
「どうすんでしょ?」
「屋内に会場を移すんじゃないかな?」
「ま、そうでしょうけど、あのレストランにそんなスペースあったかなぁ?」
小降りになった雨の中、マヤ・ウブドに戻ると、楽器はシートも掛けられずに屋外のステージに並べられていた・・・当然、びしょ濡れである。メンバーに拭き掃除を命じるチョアリ氏の顔は曇る。
雨は一時的には止んでいるものの、あらかじめ用意されていたディナー・ショー用のテーブル・セットはぐちゃぐちゃ。マヤ・ウブドの担当者の要望により、舞踊会場は屋内の客席スペースに変更になった。が、ガムラン隊のスペースが無い、とのことで、なんと舞踊会場から30メートル近くも離れた屋外の階段状スペースに無理やり楽器を並べることになった・・・窮屈、かつ、不自然なことこの上無い。緊急手段としてガムラン隊の上にはパラソルが設けられたが、時折降って来る雨がパラソルの裾から水滴となって落ち、楽団員、楽器を濡らす…
それにしても、踊り手の合図もろくに見えないこの状況で、どうやってBarisやTopeng Jaukの伴奏が出来るというのか・・・
(注:BarisやTopengでは踊り手の所作が曲展開、曲の速度を決定する最重要要素なのである)

(演奏場所から舞踊会場を見た所。遠い上に柱やカーテンが邪魔で踊りがろくに見えない)
開演予定時刻の8時を回っても客はなかなか集合してくれない。思い思いの時間にばらばらに現れては飲み物をオーダー。目の前を運ばれていく生ビールやカクテル・・・
の、のみてぇ。あの旨そうな生ビールを一気に喉にぶつけてぇ・・・
生殺し状態で延々と濡れたござの上に座らされ、パラソルから垂れてくる雨垂れを除け、タバコを喫うことも禁じられ、俺の不機嫌指数はレッドゾーン突入直前である。思わずグチが出る。
「飲みてぇ・・・」
「ん?」
「あのビール、飲みてぇよ」
「ああ、我慢しろ」
「勿論、我慢しますよ。宿に戻るまでは我慢するけど、開演予定時間はとうに過ぎてますよ?いったいいつになったら始まるんでしょう?」
「おおかた、客の食事が一通り済んでから始めるつもりなんだろうな」
「はぁ~・・・(大溜息)」
マヤ・ウブドの担当者から演奏開始のサインが出たのは9時をゆうに回ってからだった。開演を告げるアナウンスが聞こえてくる。
「伝統あるプリアタン・スタイルのレゴンダンスをお楽しみください。伴奏はチョコルダ・アリット・ヘンドラワン氏の率いるヤマサリです。では、どうぞ」
って、おいおいおいおいおいおい!
ヤマサリじゃねぇよ!ガンガ・サリだよ!
せめてそこんとこだけは、よろしくお願いします。
怒ってはいけない、怒ってはいけない、と思いつつも、踊り手の横をウェイターが行き来するのを遠くから見ると情けなくなってくる。彼ら、彼女らもさぞかし踊り難くかろう・・・
1時間程度のステージがようやく終演して時計をみると、もう10時半になってるじゃねぇかよ。もう体も心もガタガタだ・・・
宿にたどり着いたのは11時過ぎ。制服も脱がず、続けざまにビンタンを2本流し込んだのは言うまでもない。そして翌日から3日間、俺は腰から下の筋肉痛に悩まされた・・・
ホテルでの営業公演とは、時としてかくも理不尽かつ過酷なものなのである。
【補足】宗教的な儀礼でチャロナランを上演する時などはもっと遅くまで演奏するのが当たり前であるが、これは奉仕活動であり、さほど苦にはならない。勿論、体はガタガタになるが・・・
【独白】と、いいつつも、このような過酷な条件のディナー・ショーに出演すると、「俺もあっち(客席側)に行きてぇ・・・」と、思ってしまうことも皆無ではない・・・まだ煩悩が吹っ切れていないようだ。
【追記】楽団に所属していると様々なリゾート・ホテルで演奏する機会がある。事情を知らない旅行者からは、「え?×××ホテルで演奏したんですか?いいなぁ・・・私も泊まってみたいホテルなんですよ。どんな感じのホテルでしたか?」と訊かれる事も多い。
が、俺たち楽団員は裏口から入り、限られた待機スペースで待ち、時間が来れば演奏して帰るだけであり、宿泊客のためのスペースに立ち入ることは禁じられている。楽団員たちは、ディナー・ショーで演奏に行った先のホテルの雰囲気も何も解りようがないのである。
(その昔、この『保たねばならないお客様とおもてなしする側との距離』を解せず、演奏開始前、たまたま客席に居た知り合いの横に座り談笑していたところ、楽団の世話役からえらい剣幕で蹴飛ばされたことがあったりする。)